なぜ古典は今も重要なのか:中高生の学びにおける価値

2024年3月1日 Vol.983
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。

あるブログで「古典は勉強の優先度が低いので、他に優先して学ぶものがある。」という意見を目にしました。
今日はその反論というわけでもないですが、「古典」が中高生にとって学ぶ意義のあるものであるというお話を書きます。
ちょっと長いですが、最後までお付き合いください。

「古典」って使わないよね

「社会に出てからも使わないから古典はいらない」という人がいます。
私自身も社会に出てから古文や漢文の知識を使った経験はありません。

使いもしない古典をやる時間があるなら、より活用機会の多いプログラミングや金融知識を学んだ方が良いのではないか。という意見です。

情報工学なら使う?

私は大学院を卒業して最初の5年はIT企業に勤めていました。
その後も会社は変わりましたが、IT系のプロジェクトにまた5年ほど関わっていました。
その意味では、普通の方よりも情報工学に関わりのある仕事を10年ほど経験したことになります。

「古典」の話をする前に、情報工学についてお話します。
「古典」よりも社会で使えるはずの「情報工学」は、実際に社会でどうなのか。ということです。

情報工学についても大切なことはその本質です。
例えば、1バイトという単位は8ビットで構成されていて、16進数の1文字で表されます。この知識が実社会で「必要」になることはほとんどないです。
また、全加算回路を理解しておくと、なぜコンピューターが高速度で計算できるかが実感できます。なにせ、回路に電流が流れる速さで計算結果が出力されるわけですから。
でも、実際にエクセルを使ったりするのに意識する必要はないですよね。普通はそうです。

しかし、大切な判断をする際には本質が重要になります。また大きな事故につながるミスが起きたりするのは、本質を見落とした場合が多いものです。
私がIT企業で仕事をしていた時に、新人社員がファイル名を変更するときに拡張子を変えてしまったことがあります。
「先輩!なんか、アイコンが変わって、、、、ファイルがこわれました!」と報告に来ました。ファイル名を変更してその内容が変わるわけないのですが、物事の中身が分からない人にとっては、見た目が変わっただけでも事件です。

使うかどうかを基準にしてしまうと、1バイトの意味も理解せずにプログラムに必要な「命令」だけに飛びついてしまいます。

「古典」の意義

J.S.ミルは「大学教育について」のなかで、こう伝えてくれます。


現代の著作を通じて古代人を知りうるではないかと主張することは無意味なことです。(中略)人が何を考え、何を言わんとしているかを本当に知りたいと思う場合、われわれは直接その人自身からそれを聞き出します。われわれは、他人が語るその人についての印象を信用せず、実際にその人自身の言葉に耳を傾けるでしょう。

大学教育について J.S.ミル

古典言語で書かれた文章は、書かれた文章でなければ完全な理解はできないという事を伝えてくれています。

人間は「言葉で思考する生き物」です。
我々は自由に思考するように見えて、実は「言語」による制限を大きく受けます。したがって、「古典」を知ることは昔の人の思考を知ることでもあります。

「あぁ、昔はこういうふうに考えていたのね。」ということを実感できるのが古典言語です。
それが実感できると、自分の思考もまた「言語」による制限を受けていることがわかります。
自分が考えていること、感じていることを、いったん「カッコに入れて」考えるのです。

SNSで様々な言葉が飛び交い、実に多くの人を傷つけたりしています。
価値観の多様化が叫ばれ、かつての当たり前は今では「不適切」になったりしています。
そういう時代にこそ、自分の思考が言語をはじめとする文化の制約をうける儚いものであるという考え方は非常に重要な本質です。
この時代だからこそ、自分の思考を「カッコに入れて」考えることが大切なのです。

本質を理解できていないと、目の前の事象に囚われすぎてしまいます。
「もうだめだ」「これ最強。マジ神レベル」というような発想を繰り返すのではなく、自分思考そのものを俯瞰できるような成長を促していきたいです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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