勉強なんて使わない?

2022年7月14日 Vol.949

つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。

塾長の関口です。

つばめ学院の通常授業もあと1週間となりました。その先はいよいよ夏期講習です。

この夏休みに多くの子が勉強だけに限らず、いろいろな活動を通じて知見を広げてくれることを期待してます。

大人になって「勉強を使う、使わない」論争

中高生の多くにとって勉強は楽しくないもののようです。

かくいう私も、中高生時代は勉強なんて大嫌いでした。

そして勉強をしたくない子が良くいうセリフがあります。

それが、「大人になったら勉強なんて使わないのにやる意味がわからない」というものです。

私もそう思っていましたし、近くの大人に手当り次第にそんなセリフをぶつけていました。

そこで良くある大人の回答が、

「いやいや大人になってからも勉強は大切だ。英語は世界共通の言語だし、社会が分からないと大人として正しい判断ができない。数学や理科だって特殊な人だけが使うものではなく、我々の生活を支えてくれている大切なものだ。ほら、君が大切にしているスマホだって、、、」

こういう答えが中高生の時の私をイラつかせたりした事は事実です。

なんとなく正しい気もするのですが、納得感がなかったんです。あくまで、私にとっては。です。

私なんかは塾の仕事をしているので、いわゆる勉強を使いますが、仕事を離れてしまえばほとんど使っていないのが事実です。

2次方程式の解の公式を私生活で使ったことは一度もありません。三角比も数列も微積も使ったことはありません。(ベクトルとか数学的帰納法の考え方はちょっと使うかも)

英語に関してもそうです。私は海外旅行もしないし、日常的に英文を読まない(プライベートでは)ので、仮定法過去完了とかの知識で得したことはありません。

使わないなら「いらない」のか。

私は塾の先生なので、やはり勉強はした方が良いと思いますし、すべきだとも思います。

ただそれは「使うから」という切実な理由によるものではないです。

あえて言うならば「豊かに生きるため」でしょうか。

勉強をした方が豊かに生きることができるし、より多くの人が豊かな人生を過ごせた方が良いと思っています。

私が過去の自分に伝えたいのは、「使わないならいらない」というその意識が間違っているということです。

「使う」を突き詰めていけば「生きるうえで欠かせない」です。

学校やその後の人生で出会う「勉強」はどれも「無くても死なない」ものばかりです。

だからこそ、世界では今でも多くの子が「勉強」知らずに生きています。

「生きるに欠かせない」を基準にすれば、ゲームもテレビも不要です。

服だって熱さ寒さを凌げれば良いし、家も雨風凌げばOKでしょう。

食事はエネルギーと栄養分の補給なので、美味しい料理である必要はないのです。

「使える」を基準にするということはそういうことです。

そういう基準で考えるならば、確かに勉強は「使わない」でしょう。

そして、「使わない」からこそ価値があるです。

豊かとは「使わない」ものの量

財産が豊富な人というのは、一生かけても使い切れないようなお金を持っています。

感性が豊かな人というのは、鈍感な人よりも多くのものを受け取ります。ただ、鈍感な人もそれで死ぬことはありません。

人脈が豊かな人というのは、実際には日々の生活で交流できない数の人とつながりを持っています。

やはり「豊か」ということは「使わない」という事なんです。

私は学生の頃に、有名な「清水の舞台」を修学旅行で見学しました。その時に「舞台はあるのに客席がないじゃん」という疑問をいだきました。

清水の舞台で舞を舞ってもそれを見る観客は宙に浮いていないと見ることができない。そんな配置ですよね。

後に清水の舞台が「本堂の観音様に舞を奉納するため」のものであると知ってから、もう一度眺めてみると、明らかにその風景は違ったものになりました。

「おー!高けぇ。お前、飛び降りてみろよ」と言って騒いでいる人よりは確実に「豊か」なはずです。

同じことが全てに言えるはずです。

ケプラーやニュートンの偉業を理解した人が見上げる星空は、ただの星空とは違うはずです。

建物や風景を見て、そこに歴史や文化を感じることができればその奥行が全く変わります。

何気ない花や虫や鳥も、見る人がみればそこに物語を感じることができます。

「何もない」と思っていたその場所に輝きを見出すことができる「豊かさ」というものを、「勉強」は私達に差し出してくれるのではないでしょうか。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。

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