考える力は“知る”ことから始まる:試験勉強の本当の価値
2025年5月14日 Vol.1005
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。
ゴールデンウィークも終わり、多くの中高生は中間試験に向けての準備を始めている時期ではないでしょうか。
「こんな勉強が何の役に立つのか」と嘆く子もいるかもしれません。
今日はそんな子に聞いてもらいたい、私のある「違和感」について書こうと思います。

正解のない問い
「これからの時代を担う世代は”正解のない問い”に囲まれている」というお話を聞いたことはありませんか。
そして、このような話の続きには、「早いうちから”正解のない問い”と対峙するスキルを身に付けよう」という言葉が置かれたりします。
そして、「友達と仲良くするために何が大切か」「世界の平和に何が必要か」「いま私達が環境のためにできること」など、「これが正解」と特定できないような問いに対して、ネットで調べたうえで、グループで話し合うことが新しい学びの形のように表現されることがあります。
私はこのような取り組みが無駄だとは思いませんが、強い違和感を覚えています。
考えるためには知識が必要
私は「考える」という行為の前提には必ず「知識」が必要だと考えています。
むしろ、そうした考え方を知識として持ち、それに賛同しています。
たとえば、「世界平和に何が必要か」をテーマにするとします。
場合によっては、「平和とはなにか」を定義することが必要かもしれないですが、この場合に「定義」の意味が分からないと何も考えられません。
「世界平和」というテーマを更に細分化して「宗教対立」を掘り下げるというアプローチもあるかもしれません。しかし、その場合には世界にどういう宗教があるかを知っていなければなりません。
ネットで調べて分かることは、「自分の知識+α」のαだけです。
キリスト教を「カトリック、プロテスタント、正教会」に分類できない人が、「キリスト教の歴史」をネットで理解することは難しいでしょう。
ここでお伝えしたいことは、考えるためには知識が必要だということです。
この「知識」が多ければ「考え」が深くなる可能性が高く、「知識」が少ないと考えが浅くなってしまいます。
「世界平和に何が必要か」という問いに対して、「相手の気持ちを想像する」は考えて結果ではなく、思いついた答えを口にしたに過ぎません。
知識は「答えのある問い」によって身に付く
「考え」を深めるための知識は、「答えのある問い」に取り組むことで身につきます。平たく言えば、「勉強」によって身につくものです。
「定義」の意味を説明せよ
キリスト教を大きく3つに分類せよ
これらの問いには答えがあります。
そのような問いに答える努力は、「答えのない問い」を考えるための大きな力になるはずです。
定期試験の勉強は多くの子にとって退屈な作業かもしれません。
しかし、こうした取り組みが、「考える力」を育てる土台になるはずです。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。